おくちー
別にその後「あ」と「め」を間違えたことはないけど…。
まあ、雰囲気で覚えてること色々あるよね。
荒川
うん。
多分ね、一人で生きていたりね、人に共有する機会が少なかったらね、そのふいんきで十分世界は成り立つんだよね。困ることはないんよ。
おくちー
確かに。
あれよね、荒川さんはずっと「顆粒」のことを「けんりゅう」ってずっと言ってたよね。粉のこと。
荒川
そうそうそう。
おくちー
別に一人で生きる分にはね、誰にも「けんりゅうの〇〇取って」とか言わないから。
荒川
うん。
そういうものとして理解しているから、それで自分の世界は成立してる。
おくちー
うん。確かに。
荒川
「め」と「ぬ」もそうだしさ、「あ」と「め」もそうだし。
英語とか勉強しててもさ、よく「海」と「見る」をさ、
おくちー
ああ、スィーとシーみたいなね。
荒川
あれとかも日本人だけで会話してたらさ、別にね。
おくちー
ディズニーシーでもいいもんね。
海はスィーだよね。
荒川
シー、スィー、シーイズ…
sheはシー、舌が宙ぶらりんな感じがする。
おくちー
うん。
荒川
She sees sea. とか。
おくちー
シースィーズシースィースィーシー……わかんなくなってきた。
荒川
こんなの、日本人だったら全部同じシーでも「まあそういうことか」って。
おくちー
うん。
そういうものとして「カキ」とかあるよね。
「カキ↓」と「カキ↑」とか、人によってどっちを指しているのか曖昧なもの。
でも文脈で一応わかるからさ。
荒川
そうだね。
おくちー
「カキの実とった」とか「カキは固い方が好き」とかだと果物だし。
「カキでお腹壊した」とかだと…
荒川
それはちょっとグレーだね。
おくちー
え! そっか。
「カキでお腹壊した」は微妙かあ。
荒川
食べ過ぎて便秘になるとか、
おくちー
確かに、便秘の方だったら果物だし、下してたら貝。
荒川
そう。
どちらもお腹に効く。
おくちー
お腹に影響を与えるけど、与え方でわかる。
ちなみに…(どうお腹を壊されたのですか?)
って一歩踏み込めばわかるね。
荒川
下す方のカキですか?
それとも便秘の方のカキですか? って(笑)
おくちー
アハハ(笑)
今、解決法が一つ見つかったから次の秋冬から使えるね。
荒川
うん。
おれは最近人前でしゃべる機会が増えてきて。改めて、しゃべんないと何もできないなって思うわー。今まではそんなことなかったけど。
おくちー
そっかー。
荒川
しゃべれた方が相手がどんな人かわかって安心するんだなって。
おくちー
あー。
荒川
おれはしゃべんなくても相手が自分に危害を加えないんだったらいいから、どんな人か知らなくても別に大丈夫だったんだけど。
世の中の人はそういうわけにもいかないことが多いっぽいから。
おくちー
なんかね、話してる内容、文字情報的なもので見ることもあれば、内容自体というよりは声色とか表情で見ることもあるよね。同じ内容でも表情の違いで受け取り方が変わっちゃう人とかいるし。荒川さんは言葉の内容だけ受け取る?
荒川
いやー、おれはね、言葉で人と精密に議論を積み重ねていくのは苦手なんだよね。
まあそんな会話普通あんましないか。
おくちーは思いついたことを話していくというか、どんどん緊密に上に積み上がっていくような話し方をするわけじゃないと思うんだけど。連想的な感じ。
おくちー
そうだね。
ポンポンポーンって。
荒川
おれは傾向として、出てきた話題について立ち止まって「要するに」ってやりたくなっちゃうんだよね。
おくちー
急に戻ったりね、まだそれ考えてたんだーってね。
荒川
そう! 裏でずっと考えてるんだよ。
おれそこわかんないな…何がわかんないかって言うと、自分は周りが見えなくなるタイプなのか、そうじゃないのかってことなんだけど。
おくちー
あー。
荒川
まあでも自己中心的なのかもしれない。
メタ的な視点を持ちつつ、ずっと自分の関心を引き摺りながら話しているのかもしれない。
っていう意味では、二つの軸を持って話していることになるのかな。
でもそこに、相手が何を考えているのかとか、全く関係ない他者とか、世界とか、どう関わっていくのかというところまではあまり考えない。
だから話すときとか考えるときに結構閉じちゃうというか、まあある意味違うものに繋がってるのかな。でもそこしか繋がってないんだけど。
おくちー
うーん。パラレル的にね。
荒川
そうそう。本気で考えたり話そうとするとそうなっちゃう。
でもまあ相手もそういう人だったら適当に話すかな。
おくちー
そういう人っていうのは?
荒川
おれと似たような人。
深く一緒に考えようとはしないかも。連想系とか、オントロジーの方向にシフトするかな。
おくちー
じゃあ、自分が二人いても深まるわけじゃないんだ。
荒川
自分二人いないから。
おくちー
もしいたらだよ!
自分みたいな人が二人いたとしても、話がどんどん深まっていくというよりは逆に上手く閉じれないってことよね。
荒川
そうだね、それはあるかも。
おれそういうの苦手だもん。怖いって思うし。
おくちー
なんで?!
荒川
それは他者と他者が緊密になるとか、濃密に何かやることとか…
おくちー
なるほどね、あまりにも他者と同一化することは避けたいんだ。
ふーん。話が深められてラッキーというよりは避けたいんだね。
荒川
避けたいというか…一人になったときに深まるからね。
おくちー
「深める」に相手はいらないんだね。
荒川
うーん、でも大体の人はそういう防衛反応を持って生きていると思うんだよね。
たとえば、重い話になると会話が重くなるじゃん。そこに付き合ってもらえたりすると人は感動するのかもしれないけど。大体の人は深刻になりすぎないようにふいんきをコントロールしようとすると思う。
おくちー
そっかー。
でも定期的に数人で集まって深刻な話をやり合うみたいな人たちもいるよね。
荒川
そういう深い友人関係というのもあるんだろうね。
経験ないから何とも…
おくちー
お互いそういうのない人生だったから無いものとして話が進んじゃったけどね。
存在はするんじゃないかな。仕事が大変でさ〜とか言い合って、内容に深く突っ込むというよりは「みんな頑張ってこ」みたいなね。
荒川
そういうのが大事なんだろうなあ。
おくちー
同じ職場の人には言えない話とかもあるんだろうし。
荒川
そういう貧しさがあるんだろうね。
でもそういうの中学とかの時にはなかった気がするんだよね。
おくちー
うーん。まあ今振り返った時に、中学時代に人生における大きな収穫があったかというと何も無いなとは思うね。自分から中学時代を削り取ったとしても何も変わらん気がするレベルには。
荒川
そんなことは無いんじゃない(笑)
おくちー
えーでも小学校は山登りとか、色々初めての経験をしたりさ、1年生から6年生までいるから体格もだし色んな人がいるなって感じがあったけど、中学ってほぼ、未熟で不安定な精神状態をやり過ごす場じゃん。こないだ読んでた整体の本でも、中学生くらいの子は簡単に死に向かっちゃうからある程度拘束しておかないと危ないってあったじゃん。ほんで義務教育、中学校というのはある程度の拘束という側面でも一役買ってるのかもって。だから楽しい場所というよりは、一旦収まってもらう場所って感じだよね。
荒川
なるほどね。
中学は男子が一番うるさい時期だよね。
おくちー
確かに、ややタガの外れた感じは中学ならではだよね。
でもそれがだんだん恥ずかしいことだという雰囲気になって、しまいには誰もやんなくなるよね。
荒川
そうなんだけど、中学一緒だったやつみんなと高校では分かれたからその変化ぶりを見ることはできないんだよね。
おくちー
そうか! エスカレーター式じゃないとそうなのか。
荒川
そー。
おくちー
てか小学生の時って足速い人がモテてたよね。あれってマジで何だったんだ。
荒川さんの小学校もそうだった?
荒川
うん。
おくちー
あれって何でだったんだろうね。
ほんで、モテる基準が足が速い人からだんだん容姿が良いとか面白いとか優しいとかに変わっていったよね。賢いからモテるってのは覚えがないな…
荒川
昔の知性っていうのはね、運動能力だったと思うんだよね。
手先の器用さとか、身体がどれだけ思い通りに動かせるかとか、踊れるとか。
おくちー
うんうん。
でも踊れる人は高校入ってもモテてたよ。
荒川
そうだよね。そういうのがこの学歴社会以前の知性でもある。
管理する人が現れる前の…縄文時代の知性というか。運動能力もあった気がする。
おくちー
身体が思い通りに動かせる人っていうのはやっぱりいいよね。
荒川
うん。器用で、何でも作れて、記憶力が良い。
たとえばこないだ体育大学の人の話を聞く機会があったんだけど。その人の話し方とか、どうやって自分をコントロールしているかとか、知性を感じたんだよね。
普通に話してても、あっこの人頭がスッキリしてるなって感じがする。
おくちー
うんうん。