本当の名前 円山 羽勿乃

【名前】をテーマとしたSSを三編まとめた作品。
その内のひとつ「子供のあそび」の一部を試し読み用に公開します。

子供のあそび

 ブラジャーの紐がやけに肩に食い込んでいたので、少し太ったかなと思っていたある午後のことです。わたしとTは、オフィス街の小綺麗なレストランのテラス席でイタリアンを食べていました。ブラ紐をさりげなく引っ張って、食い込みを直します。指が滑ってバチンと音がしてしまい、わたしは少し気まずい顔になってしまったと思います。
 Tは最後に会ったときと何一つ変わらない容姿をしていました。目にかかる前髪も、中央がやや隆起した鼻筋も、薄い耳たぶも、青くくすんで見える白すぎる肌も。あの頃のTそのままで、店に入ってその姿を見つけたとき、わたしの腕には薄く鳥肌が立ちました。

「いや〜、アンちゃんのこと忘れるわけないよ。ほらあの、覚えてるかな、読書感想文。四年とか五年とかだったよね」
「あ、あぁうん。きよせの…」
「そうそうそう、きよせの!読書感想文の感想文って、今考えても絶対思いつかないもん!まじでわらったよな〜」

 アンちゃん、とはわたしのことです。木口、という苗字をタテに並べて杏。変わったあだ名の付け方ですよね。当時、なんとかアンミ、という女優がテレビを通して大流行していたので、どうしてもアンちゃんと呼ばれたかったのです。一過性のアンミブームが去った後は、本名である莉子と呼んでもらうように正しました。Tだけが、今でもわたしをアンちゃんと呼ぶのでした。
 もっと言えば、わたしたちのクラスには杏子ちゃんという子が二人いました。キョウコちゃんとアンコちゃんです。キョウちゃんンコちゃん、と呼んでいました。アンちゃんを譲ってあげればよかったと、今ではふと思います。どうしてわたしがアンを手に入れて、ンコちゃんはアを奪われる羽目になったのか。あだ名とは不思議なものです。
 ンコちゃんは徐々にンーちゃんに変わり、発音の都合からウーちゃんになっていきました。きよせとは、そんなウーちゃんの初恋相手です。色素の薄い大きな瞳が特徴的な、クラスの人気者でした。

「たぶんさ、グッチも叱るに叱れなかったよね。発想が面白すぎて」
「いや普通に、書き直しになったからねあの後」
「え!そうだったの!?絶対あれ職員室でも大ウケだったと思うけどね」
「まぁウケてたとしたらそれは、そもそものきよせの感想文の面白さだからね、たぶん」
「そうそうそう、でもきよせあれ、ガチで書いたっぽかったからね。そこも含めて、アンちゃんの感想文の面白さに還元されてたんだよな〜」

 グッチとは、小学校六年間わたしたちの担任を務めてくれた橋口先生のあだ名です。極めて慎ましい、まじめで小柄な女性だったので、今振り返ればミスマッチさに少し嫌味が効いているとすら思われてしまいそうなあだ名です。彼女がGUCCIを持っているところなんて、今でも想像はできません。

 Tが皿に残ったパスタソースをフォークの側面で刮いで綺麗にしていきます。皿には赤く筋になって、フォークの跡が残ります。今度はその筋をなぞるようにフォークを滑らせるTです。皿は徐々に、何も乗っていなかった頃に戻っていきます。
 テラスならではの環境音がどことなく心地よく、わたしは深呼吸しながら辺りを見回しました。オフィス街から頭ひとつ飛び出したような商業ビルの屋上から見る景色は、田舎を離れて何年経っても「わぁ都会だ」と声が漏れそうになります。そんな景色の中心に、懐かしさに身体をつけたようなTの顔が浮かんでいるのは、正直言って気味が悪かった。
「雑誌とかできよせが普通にインタビュー答えてるのとか見てもさ、あの感想文思い出しちゃって、ちゃんと話せてるじゃん!っていちいち感動しちゃうよ、今でも…」
 Tが、目を少し遠くにやってつぶやきました。Tは確か、きよせと仲が良かったはずです。文字に起こすと馬鹿にしているように見えるそのセリフにも、親しさゆえの愛情が滲んでいました。笑いながら、わたしに小さく首を傾けて見せました。歯を三分の一ほどしか見せずにきゅう、と口角を上げる笑い方はTの大きな魅力の一つです。

 あぁそうですよね。きよせの読書感想文、気になりますよね。
 きよせは先述の通り色素が薄く、小学生の体つきでもわかるほどに脚が長い子供でした。今思えば、両親は日本人ではなかったのでしょう。だから、と勝手に理由付けするつもりはないのですが、作文やディベートといった高難度の日本語を扱う授業が不得手なようでした。
 そんなきよせがある年の夏休み、読書感想文の宿題で書いてきた作文が、有体に言ってしまえば酷い出来だったのです。確か「銀河鉄道の夜を読んで」という原稿用紙二枚分の感想文だったと思います。支離滅裂で難解な、題を知らなければ「銀河鉄道の夜」の感想文だと当てられる人は絶対にいない文章でした。
 それでもきよせはせっせと書いて提出したわけです。一方、怠惰だったわたしは読書感想文をサボっていて、夏休み明け、みんなで順繰りに朗読する日になっても手元に感想文がありませんでした。朗読を聞いてきよせの感想文に面白さを感じ、「きよせの感想文を読んで」という感想文を、後日グッチに提出したのでした。Tにとって、わたしはその印象が最も強いようです。きよせと仲が良かったからでしょうか。
 え?あぁ、きよせの現在ですか。何度も言うようですが、きよせは日本人離れした非常に整った容姿をしていたんです。それを活かして、今では俳優をしています。最近はたまにテレビCMや電車の中吊り広告で見かけるようになりました。同級生の活躍を、故郷から離れた地で目にすることができるのは嬉しい限りです。
 Tはいつの間にかパスタ皿を店員に下げてもらい、デザートのティラミスを前にしていました。わたしの目の前も、いつの間にかカルボナーラからジェラートに変わっています。

「ちっちゃいフォークいる?」
「あ、大丈夫ありがと」
「あ、ジェラートだからスプーンか」
「うん、お皿についてた。…でもほんと、きよせがんばってるよね。たまに山手線のモニターで、会計ソフトの広告出てるの見るから嬉しくなるよ」
「え、山手線できよせ出てるの!?すごいね、だって山手線って、東京人じゃなくても知ってるよ!」

 故郷を離れたことがないTは、山手線というワードに興奮した様子でした。肘が擦れてナプキンが一枚床に落ちました。Tは気が付かないようで、わたしも、ナプキン一枚で水を差すことはないだろうと思い黙っていました。しばらくした頃店員が通りがかり、さりげなく拾っていきました。

 落ちているゴミを拾うことが仕事に含まれている人がいるのだから、そうでない人は、別に拾う必要はない。そう考えるのは、仕事をしている日の自分があるからです。誰かではなくわたしが名もなきA役をやらなくてはならない理由を考える機会を、他でもないわたしが持っているからです。わたしは悪人ではありません、あるときは労働者であるときはそうでないだけの人間です。

 とりとめもない会話が続きます。ジェラートは溶ける速度が常に背中に見えている食べ物なので、わたしは話すより聞く方に身を寄せてその場を過ごしました。もったりとしたカルボナーラの後味をさらう爽やかな甘さが心地よい。そんな、デザートの役割を改めて反芻するような時間でした。

「小学生の頃からきよせは美人だって思ってたから、もう十五年以上思ってきてるわけだから、なんか勝手にね?勝手にだけど、やっと※※のきよせが東京に認められはじめたか、的なね!親心になっちゃうところあるんだよ。ほんと勝手だけどさ、嬉しいよね」
「でもまぁ、きよせとアンちゃん以外は変わらず地元にいるから、いつでも会おうと思えば会えてさ。それはそれで嬉しくもあるよ」
「覚えてるかな、ヒガちゃんとか…あと松戸とか!もう子供いて、公園で見かけるよ。ヒガちゃんのとこは双子だから大変らしいけど、やっぱり感慨深いよね」
「同級生でほんとの親になってる人もいるのに、自分はきよせの親面してるの、なんか急に恥ずかしくなってきたな」
 へぇ、とかそうなんだ、とか相槌を挟みながら、Tの話を聞いていました。Tは終始楽しそうで、※※小や※※に住む同級生たちのことが心底好きなのだと伝わってきます。しかしその中に、自分も含まれているという気には、ちっともなりませんでした。
 あの頃と変わっていなければ、Tの住む高層マンションは公園の目の前に位置しています。窓から公園で遊ぶ同級生とその子供を見下ろすTの姿がうっすらと想像できました。
 あの公園で、わたしもよく遊んでいました。ちょうど校区と校区の狭間にあったので、隣町の小学校の生徒も混ざってかくれんぼをしたりして。寄せ集めの集団なので、鬼になった子はいつも大変でした。誰かを探してはいるけれど、探している対象の顔は曖昧だからです。物陰に子供を見つけても、それが本当に「見つけた」ことになるのか、確信を持つことができません。隠れる側には、鬼に確信を持たせてやる優しさが求められました。「隠れている」顔をして隠れ、見つかった時には「見つかってしまった」という顔をする優しさです。子供の頃は、少しのことで不安になり、少しのことで大いに安心したりすることができました。見ず知らずの名前も知らない子供の、いかにも隠れていますという背中と、いかにも「しまった」という表情から得た安心は、きっと大人になった今では味わうことができないでしょう。ヒガちゃんや松戸の子供も、同じような優しさと不安の中で遊んでいるでしょうか。「子供のあそび」は今も、変わらずそこにあるでしょうか?
 ちなみに、ヒガちゃんの苗字は比嘉ではありません。彼女の家の前になぜかシーサーの置物があったことと、よく日に焼けていたことからヒガちゃんと呼ばれていました。確かあの頃、テレビで沖縄出身の芸能人特番があったのです。半数の苗字が比嘉だと盛り上がっていたのを見て、最初はオキナワだったあだ名がヒガちゃんに変化したと記憶しています。
 松戸は、ただの松戸です。あだ名をつけるほどの親しさがなかったので、ただ松戸と呼んでいました。
 ジェラートの溶けてはみ出た液を掬っては、食べる手つきを繰り返しました。形を保てなくなっただけでなくわたしのスプーンからも見捨てられた、二重にかわいそうな液だけが皿に残りました。わたしがスプーンを手放すのとほとんど同じタイミングでTが、
「ほんと、みんな大人になったよ。変わったところも変わらないところも含めてさ。アンちゃんはどう思う?自分のこと、大人になったと思う?」
と問いかけました。逡巡し、目を逸らし、よれた口角を上げて、わたしは答えます。
「どうかな、変わったのには違いないけど、大人になった、とは言い切れない気がする」

わたしが言い終えるのとほとんど同時、言葉尻を食うように、

「だよね」

と、Tは微笑んで言いました。環境音が、ふっと遠ざかって聞こえます。私たち二人、耳と魂だけが上空に浮き上がって、そこで会話をしているような感覚でした。

「アンちゃんは、自分以外のクラスメイト27人のフルネーム、全部覚えてる?」

 トンネルに入った瞬間のように、耳の奥に空気の波が押し寄せます。唾を飲み込んでリセットボタンを押しました。椅子と設置している太ももの裏に、嫌な汗をかいていました。先生に叱られる子供のように…なんて、もう十年以上遠ざかった比喩が瞼の裏をよぎりました。

 Tの表情やトーンは先ほどと何一つ変わりませんが、ここからが今日の本題なのだとわかりました。眠っていた薔薇が夜更けにそっと目を覚ましたような、春陽照る眩しい庭の、それでも絶対に日陰になってしまう一角に迷い込んだような。
 見えない棘を一本ずつ抜いていく手つきで、わたしはTに返事をしました。

「28人、じゃなかったっけ?」
「27だよ27。卒業アルバムには27人しか載ってないでしょ、ところで卒業アルバム、まだ持ってる?」
「わたしは28人だと今でも思ってる」
「でも27なんだよ、ほんとは。結果として残った事実はさ。ね、ほら27人、名前、言える?」

ここまで


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