だから僕はバスジャックをした 円山 羽勿乃

いまどき、なかなか古風な奴だ。僕は冷静に感心していた。

 命が惜しいか、惜しくないかと問われれば、そりゃもちろん断然惜しいに軍配が上がる。しかしバスを降りたいか降りたくないかと問われれば、バスの外は暖房が効いていないのでなるべく車内にいたいかな、なんて思う程度には、緊張感がなかった。僕はいつだって、どことなく自分の人生に他人事な部分があった。ただ、そうは言っても断然命は惜しいので、動かず、喋らず、余計なことはせず、暖房の効いた車内で男を見ていた。

「動いた奴から、こいつをこめかみにお見舞いしてやるからな!いいか、命が惜しけりゃ動くな、喋るな、余計なことはするな!」

 思わず、典型ですねェ、良いですねェ!と言いながら手を叩いて表彰してやりたい気分になるほど典型的なバスジャックである。

 男は典型的に拳銃を手に、手近な女子どもの首根っこ掴んで脅かしては、

「おい運転手!無線だなんだ、使ってんじゃないだろうな!そんなことしたらこいつら全員こうだからな!ちゃんと行けよ、虎郡刑務所だ!」

とか叫んでいる。なぜかずっと息は切れ切れだ。ガチャガチャと耳元で拳銃を揺さぶられたOL風の中年の女は目をギュッと瞑り、煩わしい突風がすぎるのを待つような顔をして耐えている。別にどうということはないはずなのに、凝視しては悪いような気がする、そんな顔である。僕は彼女への気遣いから窓の外へ目をやった。

 バスは、着実にいつもの道を外れ始めていた。

 表札が違うだけの同じ家たち、が築く調和。表札すらない同じ田畑たち、が描く直線。厳格な秩序をカモフラージュするように刺さったキリストの言葉。いつものそれらがほんの一歩ずつ、体感約五〇センチずつ、ずれたような景色が流れていく。僕は毎日このバスを利用しているから違いはすぐにわかる。おそらく犯人の要求通り、虎郡刑務所に向かっているのだろう。虎郡刑務所は、虎郡トンネルを抜けた先にある。犯人はそこに収容されているある人物の解放を条件に、この恐ろしく古風な(そう、恐ろしい)バスジャックを決行していた。

 犯人が拳銃を取り出して叫び始めたのが、「牛瀬二丁目東」のバス停を少しすぎた頃だ。「牛瀬二丁目東」は乗客がなかったので、しばらくの間はただの乗客の顔をして車内に馴染んでいたのだろう。拳銃を見て気が動転した運転手は、次の「干野リハビリテーションセンター前」であろうことかいつも通り停車してしまい、激しく怒鳴られた。肩を飛び上がらせて涙声になった運転手に向かって、まるでナビのように「百メートル先の信号を右!」と吐き捨てて、犯人は発砲はせずに運転手を見逃した。この町に土地勘のある奴なのかもしれないと思った。

 犯人の拳銃に弾が入っているのか、発砲できるのかは、まだ確かめられていない。彼に人が殺せるかどうかが、現状最も重要なポイントのはずなのに。大切なものは目に見えないと、かつてどこかの王子さまが言ったそうだが、まさしくその通りだと実感する。

 大切なもの。そういえば、僕たちの社会的心臓こと携帯電話は早々に回収されていた。典型的に大きな麻袋を持って犯人が徘徊し、まるで募金のようにみんなで携帯を突っ込んだ。溜まっているであろう上司からの不在着信を思って少し憂鬱な気持ちになる。

 僕の上司は遅刻を咎めることを趣味にしている。大きな声を出すわけではないし、なにかペナルティを課すわけでもない。ただ、「普通はそういうこと、したらダメなんと違うかナァ」と小さな声で何度も詰るのである。僕は、半笑いで紡がれるその言葉が心の底から苦手だった。しかしいつだって、ただ黙って上司の気が晴れるのを待つだけだった。反抗し怒るだけの熱さえ僕にはなかったからだ。

 何を急ぐことがあってこんな朝っぱらからバスジャックなんだとうんざりする。そしてすぐに、この時間しか利用者はろくにいないのだったと思い出した。

 広辞苑の「高齢過疎」という言葉に言い換えとして載っても問題ないほどに、我が万兎町は高齢過疎っているのである。高齢過疎には「万引きさえ大ごと」とか「六十は若者」とか、そういう言い換えもある。バスジャックなんて、天変地異に等しかった。その割に、ひとつトンネルを抜けた先に刑務所があるのだから、天と地は思いの外近かったとも言えるだろう。トンネルまで、あと三キロの青い看板を通り過ぎた。

 僕の隣に座っている、白髪とハゲの境界を行きつ戻りつしている小男が小さく咳払いをした。おそらく、車内で僕だけがこの小男の加齢臭の被害にあっている。しかし座席移動はおろか、動くことさえ許されていない。そもそもからして、二十二座席の車内に、ぴったり二十二人の乗客が着席しているのだ。座席から溢れた二十三人目が、ただ今バスジャック犯をやっている。加齢臭を逃れたとして、僕に行き場はない。喉と鼻腔の間を少し狭めるような、嗅覚を鈍らせる呼吸を意識した。

 犯人がちらとこちらを見る。彼の眉がきれいに整えられていることに気がついた。万兎町に、眉を整えている男が果たして何人いるだろうか。歳の頃はおそらく僕と似たり寄ったり、僕と同じく眉を整えており、この町では比較的マイノリティ。

 僕は、改めて考える。こいつはどうして虎郡刑務所にバスを向かわせるのだろうと。「ある人物を解放するまで、お前たちに自由はない」とこいつは言ったが、そのためにバスで現地へ向かう必要はあるだろうか?刑務所の前である人物が出てくるのを車内で待って、二人してこのバスに乗って逃げようって魂胆か?だとしたら間抜けだ。バスはタクシーじゃない。

 虎郡刑務所に到着すればバスは間違いなくSATTだかPATTだかに包囲され、犯人は捕まり、そのままささっとぱぱっと虎郡刑務所に収監されて終いだろう。そうなれば、タクシーどころか護送車だ。

 この男には、おそらくある人物の解放以外のなんらかの目的があるのだ。僕たち人質を連れて虎郡刑務所に向かうことでしか果たされない目的。そしてそれは、バスジャックよりも、ある人物の解放よりも、凶悪な何かに違いない。

「おいそこォ!なーにポキポキ指鳴らしてんだ!へし折っちまうぜ!こら!」

 犯人がそうがなると、乗客の視線が一気に僕に集まった。何事かと思い犯人の言葉を脳内で反芻し、そして合点がいった。

 僕は考え事をするときに指を鳴らす癖があり、それがつい顔を覗かせてしまったのである。命の危機にあっても人間の癖というのはしぶとく息をしているらしい。全く、恐ろしいことである。(そう、本当に恐ろしい。)人類滅亡の日にも僕は癖に従って、虫歯に備えてマウスウォッシュで口を濯いだりしてしまうのだろう、つい癖で。なんというか、恥ずかしさすらある。

 ともかく、僕は指を鳴らすのを即座にやめ、軽く頭を下げた。

 するとあろうことか、犯人はお辞儀を返してきた。そこに思考が伴っていたらと想像する方がむしろ気味が悪いので、おそらく反射のようなものだろう。オフィスのエレベーターに偶然乗り合わせたときのような感覚である。どこまでも非日常な犯罪の最中で、僕は犯人に妙な日常の匂いを嗅ぎ取った。これと決め六枚を着まわしているワイシャツ、毎週土曜日に回す洗濯機、面倒を押し殺してかけたアイロンの、ふわりとぬくい熱の匂い。に、よく似ている。

 バスが大きく揺れ、乗客の身体は皆同じ方向に傾いた。唯一起立している犯人が最も大きくふらついて手すりに捕まる。

「おいィ!何やってんだあぶねぇだろ!」

どちらかと言えば真っ当な観点で彼は怒鳴った。すみません、と運転手の消え入るような声が聞こえる。恐怖で肩を縮こまらせながらの運転は、おそらく普段以上にテクニックを要するのだろうと同情する。

 僕は運転手の運転を内心で応援した。乗客としてでも人質としてでもなく、例えるならばそう。正月の駅伝を見るような感じで。

 まだ道のりは長いんだから、焦らずゆっくりと。なんて他人事のようにこころの声をかけていると、突然聞き慣れた女の声が車内にぼわんと響いた。視界が赤く染まり、僕は思わず瞳孔をきゅっと縮める。

「次、止まります」

 先ほどの揺れか、それとも犯人の怒鳴り声に驚いたのか、赤ん坊が手近な停車ボタンを押してしまったようである。斜め前の茶髪の丸背中が、

「ちょっと、キョウコちゃん…!シーッ、シーッ」

と、切羽詰まった潜め声を出した。胸に抱かれたキョウコちゃんは今にも泣き出しそうになっており、若い母親は絶体絶命の大ピンチ。僕は、やはり何も出来ることなどないが同情した。

 さて、犯人はどう出るか。犯人と母とキョウコちゃんのトライアングルを交互に見守る。母を怒鳴りつけるだろうか、それともキョウコちゃんか。無抵抗な赤ん坊にその凶悪なブツをぶっ放したりしてしまうだろうか?しかし彼の次の言葉は、予想だにしないものだった。

「おい運転手!停車ランプを消せ!目にチラついて、ソワソワすんだよォ!」

思いがけず怒鳴られた運転手はさらに動揺し、再び車体ごと揺らしながら停車ランプを消した。イルミネーションのごとく点々とともっていた赤のライトが一斉に消える。僕はその消灯を、不思議な気持ちで見ていた。

 この男、やはりずいぶん平凡である。

 僕はあの停車の赤いランプが点くとソワソワして停車を待ってしまう、バス通勤者の性のようなものに共感できた。現に、キョウコちゃんがボタンを押した瞬間に僕の脳内を駆け巡ったのは「あれここ何駅だっけ」という緊張感もへったくれもない、日常にしみた心配であった。

 赤いランプへの条件反射。これは僕の、そして犯人の身体に折り込まれている、癖だ。この男も、普段はバスでチマチマ会社に通い、エレベーターで知らない人と相乗りになるとちょっとの気まずさを感じながら会釈する、僕と似たり寄ったりのサラリーマンなんじゃないのか?あの、いかにもバスジャック犯といった言動は、彼がフィクションの中の犯罪しか知らない平凡な人間であることの、ほかでもない証左なのではないのか?

 そう感づいてしまえば、僕はもはや彼を他人だと線引きすることはできなくなってしまった。と同時に、そんな平凡な男がどうしてバスジャックなど決行するに至ったのか、そのワケに対する興味が心をぐるぐる巻きにする。成長の速い蔦に覆い隠されていくように、他のことが考えられなくなっていく。極めて非凡な理由であるに違いない。癖がつくほど堅実に平凡に歩んできた三十一年(勝手に僕と同い年だと仮定する。)にピリオドを打っても構わないと思えるような理由だ。せいぜい、僕のこれまでの人生には訪れなかったような…。

ここまで


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